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真間山弘法寺で瞑想の体験!瞑想でひらかれる悟りとはどんなものか?

      2016/05/29

近所の真間山弘法寺で、隔週末に「瞑想と唱題行」が行なわれているので、初めて参加してみました。

 

みなさんの中でも、近くの神社やお寺で、瞑想の会のようなものをやっているものの、「実際にどのようなことが行われるのかわからないので、ちょっと怖くて参加出来ない」という不安をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

そこで、ここでは、私の体験した真間山弘法寺の「瞑想と唱題行」についてご報告することで、少しでも不安が和らげば幸いだと思います。

また、瞑想と椅子座禅の違いとは一体なんなのでしょうか?

 

さらには、よりスピリチュアルで仏教の教義に触れる問題ではありますが、あえて、瞑想で開かれるとされる悟りとは一体どんなものなのか?についてご説明にトライしてみたいと思います。

私自身は、悟りを開いているわけではありませんので、うまく伝わない部分もあるかもしれませんが、その点については、関連書籍をご紹介することで、詳細説明はそちらに委ねたいと思います。

 

みなさんの瞑想や座禅の助けになれば幸いです。

 

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真間山弘法寺の「瞑想と唱題行」の参加体験記

私は腎不全で治療中ですが、主治医から瞑想を始めるように言われたのが、2016年1月です。

それからは、毎朝一人で瞑想を30分~40分続けています。

 

しかし、瞑想がうまく行っていないような気がしたので、ちょうど近所の真間山弘法寺で、第二日曜と第四日曜に「瞑想と唱題行」が行われていることを知り、思い切って参加してみました。

参加費も無料ということにも惹かれまして。

(有料なら、行かないのか?っていう質問はなしです)

 

朝、8時40分頃に弘法寺の客殿に到着です。

客殿の正面から入って、受付でどこで瞑想が行われるのかを聞いて、場所を確認しました。

建物の外見も中身もなんだか立派です。正面には大きなけやきがガラス越しに見えます。

内庭っていうんでしょうか、随分贅沢な作りに見えます。

 

まず、下足箱に行って靴からスリッパに履き替えて、正面から見て左側にまっすぐ進むと突き当りに、大きなタイコが見えています。

どうもここの部屋のようです。

 

そこに、そーっと入ってみると、イスが100脚程並べてあり、一番前のほうには赤い絨毯が敷かれています。

真正面には、祭壇があり、立派な仏像やロウソクや線香があり、その前に僧侶がこれから使うであろう、座布団や太鼓のようなものが置いてあります。

天井は高く、格子状になっていて、手間がかかったものであることがわかります。

床は、けやきと思われるピカピカの床で、こちらも美しい床です。

 

部屋の左右にはガラスケースがあり、そこには、位牌がびっしりと置かれていました。

左右の壁の上部には、不死鳥でしょうか、鳥を形どった彫り物が左右にそれぞれ2枚づつ掲げられています。

ここも、一見して、お金がかかっているな、という印象の部屋です。

微かに音楽が聞こえています。そう、なんとBGMが流れているのです。最近のお寺って凄いんですね。

 

既に5名程度の方が、椅子に座っておられました。 皆黙って座っています。

開始まで少し時間があるようなので、トイレに行ってみました。

トイレの前にはトイレの不浄を清めるとの仏像が神棚のようにかざってあります。

 

なるほどと、思いつつトイレに入ると、ちょっと驚きました。

壁全体が御影石なんです。

まるで高級ホテルのトイレです。 檀家さんが一杯いるってことなんでしょうね。

 

初めての参加で、やり方もわからない上に、正確には、自分の宗派(真言宗)とは違う(ここは日蓮宗)ということもあり、一番後ろの椅子にそっと座りました。

結局、始まる頃には25名ぐらいが集まってきました。

それでも席は半分も埋まっていない感じです。

 

前の赤い絨毯には、ベテランそうなおじさんが一人で座禅を組んでいたようです。

あとの人たちは、全員椅子席です。

 

しばらくすると、僧侶が登場して、大きな分厚い座布団に座り、左右に少し体を揺さぶって安定させて準備をしている様子です。

時間になったらしく、「それでは始めましょう」と言って開始となりました。

 

まず、「拝礼」といって、手持ちの鐘でチーンと鳴らせます。

私は何をしていいかわからないので、周りの人を見ていると、両手を前に出して手のひらを上に向けて、頭を下げていました。

ちょっと遅れながら、私も同じようにします。

もう一度、チーンとなると、皆の姿勢が元に戻るので、私も合わせて戻ります。

 

ここで、瞑想を始める前に、僧侶から簡単な説明があります。

「頭から引っ張られるイメージで背筋を伸ばしてまっすぐにして、おしりはしっかりと地面につくようにして、顎を少し引いて、鼻から息を丹田に吸って、ゆっくりと口から息を吐きます」

正確には違いますが、大体このような内容のことを言っていました。

これはいわゆる椅子座禅と同じ要領で、特に初めて聞く内容ではないので、フムフムと納得です。

 

ただ、小学生ぐらいの子連れで来ている人がいて、その女の子がなにやらゴソゴソしていて落ち着かないので、気が散ります。

心を落ち着けようとしても、どうも子どもが気になって、気持ちが集中できないのです。

まだまだ、修行がたりません。

瞑想は、大体10分ぐらいでしょうか。

 

次は「唱題行」です。 また、簡単に説明を受けます。

「合唱するときは、手を合わせて顎のすぐ下当たりにする。脇は卵1個分ぐらい入る程度にあけます」

というようなこと言って、タイコを叩きながら、「南無妙法蓮華経」を全員で唱えます。つまり大合唱となるわけです。

 

真言宗の私としては、「南無大師遍照金剛」と言いたいところではありますが、そうもいかず、皆に合わせて「南無妙法蓮華経」と唱えます。

声を出しながら、呼吸をしながら、続けるのは結構しんどいですが、そんなにきついってほどでもないです。

声を出しながら、こうゆう瞑想もあるんだな・・とおもいつつ、徐々に合掌した手も重く感じてきます。

 

なんだか新興宗教の合宿みたいに見えないこともなく、若干の違和感を感じつつ、続けていました。

途中でテンポが早くなったりするような気がしましたが、最後は徐々にゆっくりとなって、終了となります。

これも10分ぐらいでしょうか。

 

再度、瞑想に入り、先ほどの合唱した手が少ししびれているのを感じつつ瞑想します。

その間に、僧侶はなにかのお経を読経していました。

般若心経しか知らない私には、それが般若心経ではない、ということだけはわかりましたが、何のお経なのか全く知るよしもありません。

これも約10分ぐらいで、チーンの音で瞑想が完了。

 

お坊さんは、「お疲れ様でした。」と言って、あっさりと、立ち去ります。

参加者も立ち上がり、帰っていきます。

 

あれ? 法話があるんじゃなかったの?と思いつつ、しばらく席にいるものの、皆帰っていくので、終了であることを知りました。

以上で、約30分。

 

結果的には、初めての私が行っても、特に困ることはほとんどありませんでした。

宗派の違いによっては所作が微妙に異なるでしょうけれども、まあ、あまり気にしなくていいいと思います。

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やはり、一人で瞑想するのとは異なり、近くの人の息遣いや存在(エネルギー?)を感じます。

また、お寺独特の荘厳な雰囲気の中で、瞑想するのは、いいものだなあと感じました。

 

やはり、こうゆうのは環境も重要ですよね。

皆さんも、もし、気になっている瞑想の会のようなものがあるなら、ほんの少しの勇気をもって、まずは一度行ってみることをおすすめします。

 

瞑想と椅子座禅の違いは?

以前にご紹介した「座禅のやり方でもっとも簡単な方法」でご紹介した椅子座禅と、今回体験した弘法寺の瞑想はほとんど同じでした。

正確には全く同じだったと言ったほうがいいでしょう。

 

椅子座禅を積極的に推奨しているのは曹洞宗、つまり禅宗です。

禅宗とは、座禅を組む宗派ですが、そこが椅子座禅を推奨しているのは面白いですね。

 

お固いイメージの禅僧なら、「椅子なんて邪道だ!」と言い出しそうですが、発想が徐々に柔軟になってきているようですね。

 

また、真言宗では「阿字観」と言う瞑想法があったり、一般的に仏教では「止観」と呼ばれる瞑想がありますが、どの仏教も瞑想法を持っているようです。

というよりも、仏教・キリスト教・イスラム教のいずれも、なんらかの形で瞑想を行ってきているのです。

 

つまり、瞑想とはなにかを得るために、つまり究極的には、仏教で言う悟りのようなものを得るために行なうものなのでしょう。

 

瞑想で開かれる悟りとはどんなものなのか?

悟りとは一体どのようなものなのでしょうか。

これは各宗教で異なる見解がありそうですね。

 

しかし、各宗教に特に固執せずに、できるだけ共通する内容で書かれた2冊の本をここでご紹介したいと思います。

これらは、エックハルト・トールというドイツ人が書いたものです。

これらは全米で大ブレークをした本で、全ての宗教を超越した基本的な考え方が記されています。

非常にスピリチュアルな内容ですが、自分としてはなるほど・・・と納得できる2冊です。

 

悟りについては、みなさんの解釈はこれらの本を読んでから、自らの答えを出すことが大切だと思います。

 

また、以下の動画も参考になると思います。

真言宗の高僧との対談ですが、8分50秒ぐらいからの高僧の話は面白いですね。

結局は、皆同じことを言っているような気がしてくるです。

 

以下は、私の現時点での勝手な個人的な悟りの解釈(のようなもの)です。

 

『この世の世界は全て幻であり、本質は他にある。

その本質とは、この世のもの全てを含む何かで、神と呼ばれることもある。

その何かとは、自分のエゴの中に隠れてしまっていて見えないことが多い。

本当は全てのものは、その何かで一つにつながっているというのが真理である。

自分のエゴを消すことで、本当の何かが見えてくるはず。

エゴを消すとは、とらわれの無い心を持つこと。

そのために、瞑想をして、今だけを見つめることが重要である。

過去も未来もみな幻である。今だけが現実である。』

 

まとめ

●全国の神社やお寺で行われている座禅や瞑想に気軽に参加してみましょう。

●自分の世界が少しだけ変わるかもしれません。

●宗教を超えた共通の悟りが世の中の真理なのかもしれません。

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